著者
川口 雅昭
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.15-22, 1999-06-20

吉田松陰は、安政6年(1859)10月27日朝、死罪の申し渡しを受け、同日、刑死する。現在、判決を聞いた際の松陰の態度については、騒動しく、「実に無念の顔色」を見せたとする説と、神色自若としていたとする、相反する記述が残っている。しかし、これまで定説とされているのは後者の説である。小論では両説成立の経緯などを探り、定説誕生の背景及びその問題点を論考した。そして、1、定説は当時長州藩江戸留守居役であった小幡高政が直接見聞したことを娘三香に語り、それを又聞きした田中真治が昭和初期に記録した可能性が高いこと。2、田中は世古格太郎の「唱義聞見録」をかなり意識して記述していること。3、また、世古は安政の大獄に連座したという点で松陰の同志であり、松陰を悪し様にいう動機が見あたらないこと。4、『全集』の編集委員であった玖村敏雄等は両説を精緻に検討した形跡がないことなどを解明した。
著者
石塚 倫子
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.65-75, 1998-03-31

AD43年、ローマ人のブリタニア征服以来、都市として着実に発展してきたロンドンは、16世紀末には世界に誇るメトロポリスとなっていた。シティと呼ばれる市壁の内部はイギリス経済の中枢として機能し、一方、市壁の外側の隣接区域には、大都市の必要悪とも言える施設(酒場、売春宿、劇場、精神病院、らい病院、処刑場、牢獄など)が寄り集まっていた。特にテムズ川南岸のサザックは「リバティ」と呼ばれ、複雑な権力関係が錯綜していたため逆に無法地帯と化していた。サザックにはシティからはじき出された浮浪者、犯罪人、失業者、得体のしれない外国人等が集まり、歓楽と危険、解放と無秩序が入り乱れた特殊な世界となっていた。しかし、都市ロンドンはこの周縁の地に、穢れたもの、忌まわしいものを引き受けてもらうことで、内部の秩序を保っていたのである。シティとサザック-この二種類の地域は文化における中心と周縁の関係に相当し、互いに緊張関係を保ちながら都市ロンドンを支えていた。特に大衆劇場は周縁に位置し、当時の都市文化を裏側から照射する場でもあった。ここでは、シェイクスピア劇を中心に大衆劇場の周縁性と意義について論じてみた。
著者
伊東 宏
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.11-26, 1998-07-31

徐福とその一行は、紀元前3世紀(日本における弥生時代の初め)、九州から東北までの日本の至る所に渡来したと考えられる。それらの伝承地には、ハタ・フク・ホウライ地名とか、ハタ氏とか、ハタ神社等が見られる。また、伝来の技術・習俗も見られる。彼等は、日本文化の起源でもある弥生文化をもたらしたと考えられるのである。その文化とは、稲作・金属器製造・機織・焼き物・捕鯨等である。特に、子供たちが金屋子神へのいけにえ(中国春秋戦国時代の製鉄習俗)とされていたことが、浦島・竜宮伝説から推測される。また、羽衣・七夕の伝承が、機織の渡来を立証しているのである。これらの伝説は、根底的に蓬莱信仰(不老不死の異郷を憧れる)に基いている。
著者
伊東 宏
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.33-45, 1998-03-31

本学論集第2号(95年3月刊)の本論文前編で、私は、秦の徐福は『史記』によっても明らかなように実在し、その故郷は中国山東半島の北岸と南岸の二説に分れ、出航地も複数あることを述べた。そして、山東半島における研究者は、徐福は韓国経由渡航したであろうと言っていた。特に済州島では徐福に関する伝承があるので、それを確かめるため、95年3月済州島へ出かけた。そこで、次のようなことが分かった。済州島では、徐福がハルラ山(蓬莱山)に薬草を求めにやって来たが得られず、この土地を離れ日本に行った。のち、3人の男子を済州島へ置き去りにしたことに気付き、3人の女子を婚姻のため済州島に送ったという。この始祖伝説を示す三姓穴が、そして徐福渡来の伝承を示す地名が島内にある。日本側では、北九州をはじめ、20か所以上に及ぶ徐福上陸伝承地がある。なかでも中央日本には、紀元前3世紀渡来の徐福上陸伝承地である富士山麓や熊野・熱田など代表的な三蓬莱山があり、また、紀元後5世紀近畿地方へ渡来した秦氏がいる。日本では、共に秦氏と呼ばれ、彼らのルーツは始皇帝となると考えられるのである。
著者
川村 陽子
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.27-35, 1998-07-31

Brown & Levinsonによれば、言語行動で人が相手とやりとりをする時の行為は、相手の面子(face)を脅かす可能性のある面子威嚇行為[Face Threatening Act (FTA)]であるという。したがって、対人コミュニケーションではこのFTAの度合いを緩和するポライトネスが求められる。本稿では、積極的配慮(positive politeness)と消極的配慮(negative politeness)の観点から、対人コミュニケーションにおけるポライトネスの諸相を考察した。さらに、積極的配慮と消極的配慮は、人間の発話行為(speech act)において、それぞれ個別的に実現されるものではなく、言語形式と発話内容の相互作用により複合的に実現されるものであることを示した。
著者
早川 勇
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.31-40, 2001-01-31

イギリスと日本における辞書誕生には、次のような際立った類似点がある。両国において、1カ国語辞書誕生の前に2カ国語の語彙集が存在した。その語彙集はイギリスにおいてはラテン語を学ぶためのものであり、日本では中国語を学ぶためのものであった。それらは1カ国語辞書誕生の契機となった。また、それらの多くはテーマ別に配列されていて、それぞれの国々における世界観を反映していた。
著者
森 順子
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.87-97, 1998-03-31

シェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』は難解な劇であるとこれまで多くの批評家によって指摘されている。登場人物たちは、まるで濃霧の中でうごめいているように思える。しかし、その深い霧の中で目を凝らせば見えてくるものがある。それは稀薄な人間関係である。本稿は、とりわけ主人公トロイラスとクレシダに顕著にみられる人間関係の稀薄さに焦点を当て、更にわれわれはどのような人間関係を築くべきであるのかを考察することを目的としている。その際、鍵となるのはサーサイテイーズの言葉である。その言葉を透かして見えてくるのは、互いに相手を思いやり尊重しあう心である。
著者
川口 雅昭
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.41-56, 2001-01-31

罪状申渡しの際の吉田松陰の態度については、神色自若としていたとする「定説」に対して、騒動しく「実に無念の顔色」を見せたとする記述が残っている。さて、松陰は十六歳の頃より、誠を尽くして「義」(=「忠義」)を実践し、その結果享受する「甘死(かんし)」を理想とする生死観を持っていた。一方、一見「義」に見えて、内実「義」の実践を伴わない「苦死(くし)」は忌むべきものと考えていた。その意味で、安政元年(一八五四)の下田事件失敗後、徒死(とし)と放擲(ほうてき)の不安に苦悩していることは、彼がまだ「義」を実践していないという意識を持っていた証左となる。これより、同六年、幕府の東送命令を聞いた際、「それは出来(か)した」と喜び、「幕府ノ議論ヲ一変シ魯仲連ノ功ヲ立」てんと述べた真意が理解できる。取り調べは松陰にとって、待望の「義」の実践の場だったのであろう。しかし、待っていたものは意見を聞くだけで、理解しようとしない取り調べと死の宣告であった。とすれば、私には「定説」ではなく、「実に無念の顔色」を見せたという記述こそ、その実相を伝えているとしか思えないのである。松陰が遺書を殊更に「留魂録(りゅうこんろく)」とした所以(ゆえん)はここにある。
著者
早川 勇
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.23-34, 1999-06-20

18・19世紀に出版された英語辞書の発音表記は2種類に分けることができる。1つは数字を用いて母音の音価を示すものであり、もう1つは区分的発音符によって母音や子音の音価を示すものである。前者はウォーカーによって完成され、19世紀前半のイギリスにおいて最も権威ある表記とされた。後者は主にアメリカにおいて盛んに利用された。ウェブスター系辞書において採用されたが、ウースターがその原型を確立し、グッドリッチとポーターが完成したといえる。19世紀前半におけるウォーカー辞書の圧倒的な優位にもかかわらず、英和辞典においては彼の発音表記は採用されなかった。ウェブスター式の表記が採用された。その理由を考察することは英和辞書史において重要である。1864年版ウェブスター辞書の表記が明治期に利用された最大の理由は、発音表記そのものの優位性というよりも、原典としてのウェブスター辞書の総合的評価の高さによると推測される。